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ヴィヴァルディの時代にリュートより別れ出たマンドリンという楽器は、18世紀に全盛期を迎え、
モーツァルト、ベートーヴェンの時代にはひとまずの完成をみます。
その後、ロマン派音楽の流行とともに、一時的に音楽史の表舞台より姿を消し、ヴェルディ、
マーラー等、後期ロマン派の作曲家達が再び取り上げげる迄、顧みられることはありませんでした。
今日一般に、マンドリン愛好家といわれる人達の知るマンドリンの音楽とは、その後イタリアで流行した、
民族音楽、オペラ等の劇音楽、後期ロマン派のヴィルトオーゾ的な技巧を駆使したものの融合で、
これがマンドリンの第二のオン剛毅にあたります。
ただ、イタリアではこうした民族運動的な音楽活動がファシズムと結び付き隆盛を迎えた後、
第二次世界大戦を境に歴史の彼方に忘れ去られてゆきましたが・・。
さて、ベートーヴェン、フンメルの両作曲家は共に、マンドリンの第一黄金期ともいえる18世紀〜19世紀
初頭に
かけてウィーンで活躍したピアニスト、作曲家でしたが、大胆な独創性のベートーヴェンに対して
モーツァルトの
正統的な後継者としてのフンメルは古典的な優雅なスタイルの作曲と演奏で、当時の
ウィーンの待つの人気を
二分していたようです。
ソナチネ ハ長調とアダージョ マ ノン トロッポの2曲は、ベートーヴェンがウィーンに来て間もない頃、
親交のあったWenzel Krumpholz(ヴェンツェル クルムホルツ)の為に書いたものだと考えられています。
クルムホルツは当時、ウィーンの宮廷オーケストラのヴァイオリニストで、マンドリニストとしても名を残しています。
後の2曲、ソナチネ ハ長調とアンダンテと変奏は、1798年にベートーヴェンがプラハに旅行した際に
滞在した
クラム=ガラス伯爵家で知り合ったクラーリー伯爵令嬢ヨゼフィーネの為に書かれたもので、
歌手でもあり、
マンドリン奏者でもあった彼女に贈られています。
ベートーヴェンのマンドリンのための作品は現在4曲知られていますが、そのほかにも紛失された作品が
数曲あり、数年前にその一部が発見されたとの報もあったのですが、まだ、その真偽は伝わっていません。
4曲とも、小規模ながら、後年のベートーヴェンの作風の一端を感じさせるに充分の作品です。
グランドソナタ ハ長調は今日フンメルのマンドリンのための作品として残っている2曲のうちの一方で、
演奏される機会が少なく、幻の名曲といってもいいかもしれません。モーツァルトを彷彿させるような典型的な
古典ソナタで、2楽章の終わりには、後のシューベルトの「冬の旅」を予感させるようなフレーズは現れて来ます。
ベートーヴェンとフンメルにおいては、古典的マンドリン奏法(当時のマンドリンにトレモロ奏法は存在せず、
ピッキング奏法のみで曲が奏かれていました。そしてそれゆえに、様々なピッキングの技法が発達したの
ですが・・。)を基本に、今日の音楽的感性により、部分的にトレモロ等の、当時にはなかった演奏技法を
取り入れて演奏しています。
古典的に正しい演奏であるよりも、生きた表現としてのそれであるべきだと考えるからです。
3つのジムノペディを書いたエリック サティは19世紀末から20世紀初頭にパリで活躍した作曲家で、
モンマントルのカフェ「黒猫」でキャバレーのピアノを弾いて生活していたピアニストでした。単調なリズムの
繰り返しに深い和声、予想を裏切る曲の展開と、物憂い雰囲気がこの作曲家の特徴ですが、3つのジムノペディは
その代表作で、昼下がりのけだるい雰囲気、ちょっとした心の動き、あきらめ心情などがよく現れています。
3曲とも似ているようでありながら、1曲1曲が全く違った心情を描写しています。
そんな違いを演奏の中に聴き取っていただければ幸いです。
チルドレンズソングはジャズピアニスト、チック コリアがキーボードの為に書いた作品であり、
子供の中にある
ある種の単純さとその美しさを表現するために簡単なオスティナートが多用されています。
20曲からなる作品より、マンドリンとチェンバロにあった6曲をチョイスしてお贈りします。
チック コリア自身の演奏はピアノソロの他、ゲーリー バートン(ヴィヴラフォーン)とのデュオ等で
聞くことが出来ます。
マンドリンチェンバロ、この2つの楽器を合わせたときにまず最初に考えたのが、バロック、18世紀の音楽、
ベートーヴェンやフンメルの作品を演奏することでした。
しかし、古典の作品だけを演奏する所謂スペシャリストにはなりたくない。この楽器のコンビネーションで
意外性のある曲、おもしろい響きを追求できないかと考えて試行錯誤を繰り返した結果がこのプログラムです。
古典を現代によみがえらせ(飽きさせない、楽しませる)、新しい響きの可能性にチャレンジしてゆく。
こうした試みのなかで、古典と現代が同じフィールドのなかお互いをどこまでも映しあう合わせ鏡のように対比
しながらも、共存していくことが音楽の理想なのではないでしょうか。
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